佐分賞授賞
1937年04月昨年佐分真を記念して制定された佐分賞の第一回授賞者は、四月十三日夜銓衡委員会で人選の結果、国画会々員青山義雄と決定、同二十三日夜赤坂幸楽で関係者出席の下に授賞式を行ひ兼て佐分真の追悼会を催した。
昨年佐分真を記念して制定された佐分賞の第一回授賞者は、四月十三日夜銓衡委員会で人選の結果、国画会々員青山義雄と決定、同二十三日夜赤坂幸楽で関係者出席の下に授賞式を行ひ兼て佐分真の追悼会を催した。
商工省主催に依る木、漆、金工関係技術官会議は四月二十二日より四日間名古屋市日本陶磁器工業組合聯合会会館に於て開催され、参加者は商工省側西川工業課長外十一名、地方技術官七十八名であつた。
国画会では四月二十四日午後東京府美術館に総会を開き、従来会員、会友に分けてゐた区別を撤廃し一様に同人とすることに決定した。尚新同人推薦及び本年度展覧会授賞を決定発表した。
天皇皇后両陛下には四月二十日午前九時宮城御出門明治神宮に行幸啓御参拝あらせられた後外苑の聖徳記念絵画館に御立寄り遊ばされ明治天皇の御偉徳を偲ばせられた。両陛下共絵画館への行幸啓は今回が御初めてで、河原田内相、徳川家達公、阪谷芳郎男等旧奉賛会関係者、今井絵画館長等の奉迎を受けさせられ、便殿に入御、御先着の旧奉賛会総裁閑院宮殿下に御対面あらせられ、更に諸員に賜謁の後、有馬明治神宮宮司の御案内で約一時間に亙り陳列の絵画を御巡覧遊ばされ、十一時二十五分諸員奉送裡に同館御発宮城へ還幸啓あらせられた。
前記日本紹介映画「現代の日本」輸出の是非を問題とした美術批評家協会では四月十四日文芸、美術、映画等の関係者を招いて試写会を開いたが、更に同二十三日午後築地小劇場で公開の試写並に批判の会を催し、国辱か否かに関し来会者一般の意見を記名投票に求めた。其の結果は支持するもの七〇票に対し否とするもの三二票で、国辱に非ずとする意見が勝つた。
大正四年十月創立以来明治神宮外苑の諸造営完成に不朽の功を遂げた明治神宮奉賛会は、四月十九日午後二時半閑院総裁宮殿下の台臨を仰ぎ、憲法記念館に於て盛大な解散式を挙行した。
独立美術協会々員で其の創立者の一人林重義は、四月十三日同会を脱退した。
美術雑誌国民美術が四月五日国民社から創刊された。
大阪市婦人聯合会の寄附に依る明治天皇記念館壁画に就き、四月六日壁画委員会に於て左の通り画題及び画家を決定した。同壁画は明治元年以来数次に亙る明治天皇大阪行幸を記念し御聖徳を奉頌せんが為、同館陳列室に掲げられる予定である。 日本画 一、明治元年天保山海軍叡覧之図 北野以悦 二、明治五年造幣寮着御之図 川上拙以 三、明治十年難波御堂に於ける学業天覧之図 小川翠村 四、明治十年軍事病院臨御之図 樋口富麻呂 五、明治二十三年皇后宮錦繍堂臨御之図 生田花朝 洋画 一、明治元年大阪行幸之図 赤松麟作 二、明治二十年偕行社行在所着御之図 国枝金三 三、明治三十一年陸軍特別大演習帝塚山御野立所之図 鍋井克之 四、明治三十六年第五回勧業博覧会御挙式之図 新井完 五、明治三十六年築港叡覧之図 林重義
片山佳吉、横井弘三、松岡正雄等八名の作家に依つて四月一日日本漆絵協会が設立された。漆工の旧殻を脱し絵画工芸に於ける新生面を創拓せんとする趣旨である。
英国皇帝戴冠式、観艦式に参列の為四月三日横須賀出港の儀礼艦足柄に、洋画家中村研一が特に乗組を許可された。便乗を許された者は其の他に通信記者、撮影技師、演芸家等都合五名である。
前記竹内栖鳳に対する落款請求訴訟は其の後示談成立し取下げとなつたが、同訴訟に介在した寺崎満治が同じ花鳥画連作中の一部を入手し此の問題の法律的解決を図らんとして三月二十二日新に真筆碓認及び落款請求の訴訟を東京民事地方裁判所に提起した。
国際映画協会が予て海外に対する日本紹介の目的を以て製作した映画「現代の日本」十巻の中、日本固有の風俗を主題とした「風俗日本」(ピクチユアレスク・ジヤパン)は藤田嗣治の監督に依り完成されたものであるが、試写の結果、日本に対する正しき認識を欠くものとして国辱約映画であるとの批評を受け、同協会も之を顧慮して公開を停止し輸出も不可能と見られるに至つた。美術批評家協会では同映画批判の会合を開き協議した結果、同映画は芸術的価値高く、行き詰れる対外日本文化紹介に一新紀元を劃するもの、又日本的なるものの検討に好個の資料を提供するものと認める等の理由から、右の如き批評を不当とし、その措置を遺憾とし同映画の再検討並に公開を期する旨、三月二十七日同協会のコムミユニケとして発表した。
建国二千六百年記念日本万国協覧曾宣伝の為同博覧会協曾ではポスター図案の懸賞募集をすることとなり三月十日其の規定を発表した。審査員は和田三造、宮下孝雄杉浦非水、佐々木芳達等七名、賞金は一等一千円一名、二等五百円二名、三等二百円三名である。
現行郵便切手の大部分の図案は大正二年の制定で時世に即しない所から逓信省では予て其の改正準備中であつたが、二月二十三日の閣議で郵便切手図案審査委員会設置が決定したので、原案を練り委員会を開いて其の実現を急ぐこととなつた。尚同委員会規程及び委員等の任命は左の如く三月十五日附官報紙上を以て発表された。 郵便切手図案審査委員会規程 第一条 郵便切手図案審査委員会ハ逓信大臣ノ監督二属シ其ノ諮問ニ応シテ郵便切手ノ図案ニ関スル事項ヲ調査審議ス 第二条 委員会ハ会長一人及委員若干人ヲ以テ之ヲ組織ス 第三条 会長ハ逓信次宮ヲ以テ之ニ充ツ 委員ハ関係各官庁高等官及学識経験アル者ノ中ヨリ逓信大臣之ヲ命シ又ハ嘱託ス (第四条以下略) 委員は三月十一日左の十八名が嘱託又は任命された。 内閣印刷局技師矢野道也、帝室博物館鑑査官溝口禎次郎、内務技師田村剛、東京美術学校教授岡田三郎助、同結城貞松、同和田三造東京高等工芸学校教授鎌田弥寿治、正木直彦塚本靖、滝精一、関保之助、郵務局長伊勢谷次郎、電務局長平沢要、経理局長進藤誠一、貯金局長武田泰郎、簡易保険局長小松茂、逓信書記官出塚祐助、同安田丈助
二月結成された現代美術館建設促進聯盟では、昭和九年三月結成の近代美術館建設期成会に依つて依嘱された委員正木直彦、香坂昌康、赤間信義其の他芝田東京美術学校長等の出席を乞ひ、聯盟より委員等出席、三月二十二日東京会館で懇談会を開いた。運動の具体化に就き意見交換の結果、現下に於ける先づ第一の方法として紀元二千六百年記念の万国博覧会に建設せらるべき美術館を永久的記念建造物として都心に建設することを要望することとし、其の意を請願書として多数作家連名の上博覧会当局に提出することとなつた。
日本版画協会主催伊藤述史公使後援の下に三月三日からワルシヤワで日本新古版画展覧会が開催され、出品約二千点で好評を博した。
日本美術院々友の集団として院友倶楽部が結成され、三月七日結成式が挙られた。
在野洋画主要団体の間に聯絡機関の必要が認められ、二月二十八日夜二科会の東郷、鍋井、独立美術協会の中山、伊藤、国画会の宮田、益田、新制作派協会の猪熊、佐藤、三田、春陽会の木村、足立の各会員が夫々の団体を代表して銀座モナミに会合協議を重ねた結果、在野洋画五団体懇話会を結成し左の声明書を発表した。 「日本画壇の革新発展を期し諸事情の検討批判協定を目的として茲に五団体相計り懇話会を組織す。右声明す。 二科会、独立美術協会、国画会 新制作派協会、春陽会」 尚毎月定期に各団体代表者の会合を催す予定である。
結城素明、川崎小虎、青木大乗の三名を同人として新日本画団体大日美術院が創立され、二月二十八目夕東京会館で其の披露を行つた。在来の流派や系統を超越して新しい芸術運動を起し、歪められた日本主義を排撃して真の日本精神に活きた新しい日本絵画の創作とその研究発表を趣旨とする。真の日本精神とは明朗な現実主義であり大きな抱擁力を持つもので、これは西洋風だからいけぬ、あれは伝統を無視してゐるなどと云ふ偏狭な考へ方のものではないと云ふのである。年一回東京及び大阪で公募展を開く予定である。